
11日、母の姉、つまり
伯母の
旦那様が亡くなり、12日
通夜に参列した。
物静かで、
いつも笑顔で話してくれる方だった。
遺影も変わらぬ笑顔だった。
左の写真は亡父の兄、つまり
伯父が亡くなった際に詠み、
俳句×写真集『
恐竜×ヴィーナス=17文字
』(
HP)に収録した次の句に組み合わせたもの。
シベリアを生き延び 小春の日に逝けり
伯父は
旧ソ連による
シベリア抑留を体験していた。
伯母と母、そして叔母の
三姉妹は「
ラスト・エンペラー」の
満州で幼少時代を過ごした、いわゆる
引き揚げ者で、
中国残留孤児となる可能性もあった訳だ。 だが伯母は、
幼い娘・妹達の手を引き、日本海を渡った。
その伯母も
長年連れ添った伴侶を亡くし、気丈とは言え、さすがにやつれて見えた。
この夜、
伯母婿に捧げて詠んだ句は、場を改めて発表させていただこうと思う。
親戚一同が久しぶりに集まり、四方山話をした。最年少の
従弟(いとこ)、上記、母の妹の一人息子も映画やテレビの仕事をしていて、
松本人志監督の「
大日本人」にも関わった。
極秘プロジェクトで、スタッフにさえタイトルも「
DN」としか伝えられていなかったという。
また同従弟は
宮沢賢治が主人公の映画「
風の又三郎-
ガラスのマント-」でもスタッフだったが、故
松田優作がキャストの一人だったと聞いた。 しかし
途中降板したのは、
遺作「
ブラック・レイン」(
米軍による
原爆投下後の
ヒロシマに降った、
放射能を含んだ
黒い雨に由来)出演のためだった。
癌で
死ぬと承知の上で渡米した彼が、
ヤクザ役で
バイクに跨(またが)り、クライマックス、
畑の畦道を
刑事役の
マイケル・ダグラスのバイクに追われて振り返った、その
恐怖に歪んだ表情が忘れられない。
死神を見た顔だと思った。