
1日放映のNHK BS「
毎日モーツァルト」、昨日の続き。
プロイセン国王に会えないまま
ライプツィヒに来た
アマデウスは、
ゲバントハウスで自作のコンサートを行い
喝采を浴びるが、「
収入面では
お粗末だった」と妻に手紙を送る、という
切ない逸話。
ライプツィヒと言えば
バッハ終焉の地。
ポツダムから当地へと、まるでバッハの
足跡を追ってきたかのようなモーツァルトの
足取り。
僕はまさにバッハゆかりの地を巡り、2000年バッハ没後
250周年には
アイゼナハの
生家を訪ねた。ライプツィヒにはそれより前、昨日の記事の
ベルリンの壁が崩れる前年に行き、
聖トマス教会でバッハが弾いていたオルガンによるコンサートを聴き、同教会の
主祭壇前にある(
!)墓参りをした。
ステンドグラスにも見慣れた
肖像が描かれ、さながら“
聖バッハ”の教会。
謎の死を遂げたモーツァルトが、
共同墓地にひっそり埋葬されたのとは
対照的だ。
上の楽譜は、ライプツィヒで作られたバッハの「
マタイ受難曲」。 故
武満徹が愛し、作曲前に聴くのを習いとした曲。そして亡くなる直前、病室で点けたラジオから
偶然流れたという。