友人の映像ディレクター・小林一君からのご指名を頂きまして、1日1本、7日間に渡って映画を挙けるFBの「映画チャレンジ」に参加させて頂きます。「映画チャレンジ」とは映画文化の普及に貢献するためのチャレンジで、#savethecinema に関連するものです。
最終回7本目は市川崑監督の『炎上』です。

今「炎上」と言うとSNSの話のようだがそうではない。炎上したのは国宝であり、三島由紀夫の『
金閣寺』を市川崑監督が見事に映画化した作品のタイトルである。
原作が名作で映画化された作品もまた傑作という幸福な作例の一つだが、この幸福が実現した、監督にとってやはり幸いだった要因として、三島が「やりたいようにやってくれ」と委ねたこと、さらには、当初大映に対し「美がどうのという哲学的文学を映像化するのは無理」と断っていた監督に、小説執筆のための創作ノートを貸したことが挙げられる。これを読んだ市川崑は、『金閣寺』という完成度の高い文学の映像化は不可能でも、この創作ノートの映画化ならできるかも知れないと、妻であり創作の伴侶でもある脚本家・和田夏十(なっと)と共に困難な仕事に取り組んだ。その結果、原作にはないラストも描き出される。
三島自身「自分の思想を形にできた」と語る代表作が発表された当時、評論家の小林秀雄が傑作と認めつつも「なぜ(主人公の放火犯)溝口を金閣と共に燃やしてしまわなかったのか」と、三島の屈折した美学とはずれる王道を説いているが、『炎上』では三島流とも小林流とも違う、ある意味人間的な帰結の道が示される。さりながら道を外れた修行僧が裏山越しに振り返った驟閣(映画で寺側に配慮した仮名)炎上の様は映像ならではの美しさで、黒澤明監督『
羅生門』の太陽を真正面にとらえたカットで世界を唸らせた宮川一夫のカメラが、ここでもモノクロでありながら、京の夜の闇に吹き上がる火の粉をまざまざと黄金に見せてくれる。
放火直前の若僧が、金閣に向かって庭石のように蹲っていた直後の、父親代わりの老師に出くわす。中村鴈治郎演じるその老師は芸妓との間に子が生まれたことを電話で知らされたばかりだった。やがて出火も知り、さきほど蹲って祈った仏閣の燃え上がる光景に呆然と立ち尽くしながら「仏の裁きじゃ」と呟く。皮肉なことに私には、この時この破戒僧が金閣の住職として最も相応しい和尚らしく見えた。
「仏の裁き」を代行した犯人を演じヴェネツィア国際映画祭で映画誌「シネマ・ヌオボ」最優秀男優賞も受賞した市川雷蔵の、時代劇の代表的当たり役である無頼の剣豪『
眠狂四郎』シリーズも私は大好きで、五社英雄『人斬り』で勝新太郎や石原裕次郎とも瞳を輝かせて共演した三島由紀夫に、空想だが、温かくも魔法の市川崑メガホンのもとでクールな溝口狂四郎と対決させてみたかった。刀の切っ先が満月を描き切らない内に飛び込んでしまう相手を迎え斬る円月殺法に、月の海の名に由来する『
豊饒の海』の完成と共に逝った作家は喜んで身を投げたことだろう。いや『炎上』ですでに、惜しくも早世した雷蔵と三島の燃える思いの共演が果たされている。
音楽は、作者の切腹後ドイツオベラとなった『金閣寺』の音楽も手掛けた三島の盟友・黛敏郎で、空間と心理の綾を音楽化し、市川演出・宮川カメラと相俟って溝口(三島)の父親への深い思いや父が教えた金閣の永遠の美への憧れを彼岸へと誘うような響きに乗せている。
室町の遺構・金閣は焼失したが、小説『金閣寺』、そして映画『炎上』という歴史的遺産が生まれた。それはまた創造者たちの「魂の遺産」と言えるだろう。
最終日の今日、映像作家の昼間行雄さんにバトンを渡します。
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映画『
水の馬、
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しあわせの岸」(
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人と猫の愛ある暮らし―キャッツ&ラ・ドルチェ・ヴィータ 
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映画『
秋の浮き輪』(
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