友人の映像ディレクター・小林一君からのご指名を頂きまして、1日1本、7日間に渡って映画を挙けるFBの「映画チャレンジ」に参加させて頂きます。「映画チャレンジ」とは映画文化の普及に貢献するためのチャレンジで、#savethecinema に関連するものです。
4本目はアンドレイ・タルコフスキー監督の『
鏡』です。

この映画を観ていると、ドラマとはどこに生まれるものなのか思いを巡らされる。確かに、火事も起こる、戦争から帰った父親に子供達が転びながら駆け寄る、さらには革命の実際の映像まで流される。それらは間違いなく、思いがけない、あるいは劇的な、あるいは歴史的なドラマだが、斜面一面の草を波立たせながら二度にわたって駆けのぼってくる風や、炎に辿り着くまでワンカットで浮遊しているようなカメラワーク、卓上のグラスの濡れた輪の跡が大音響と共に蒸発するクローズアップなど、そうした映像自体が忘れ難いドラマを生み出している。つまりドラマとは詩情そのもののことではないか、映像詩人と呼ばれるタルコフスキーの作品がそう教えてくれる。
そして『
惑星ソラリス』で叙情的に描かれた無重力シーンが、『鏡』ではさらに幻想味を増し、物理的な重力からの解放ばかりか言わば「時間の重力」からも逸脱し、現在と過去とが合わせ鏡になっている。
タルコフスキーお好みのポーズがある。ペレストロイカ以前の祖国ソ連でいよいよ自由な創作ができなくなりイタリアで撮り、完成後亡命した『
ノスタルギア』のラストシーン、主人公の作家が廃墟の聖堂の中で横座りに両足を投げ出している。癌に侵されてからスウェーデンで撮られた遺作『
サクリファイス』では、茂みの中で『ハムレット』の台詞「言葉、言葉、言葉」と独白する時の主人公の初老の男が同じ姿勢を見せる。そして自伝的作品『鏡』では、痩身の少年が床でやはりそのポーズを取る。それは重力にそっと身を委ねて安らぐ姿勢にも見える。
また観客に向けられるカメラ目線はやはり彼が愛好して映画にその絵画を取り入れているレオナルド・ダ・ヴィンチの、『モナリザ』や『洗礼者ヨハネ』に倣っているように感じる。そして人の秘めた思いも映し出す「生ける鏡」の海が蠢く『惑星ソラリス』然り、核戦争も起こし兼ねない人の愚かさへの警鐘を含む文字通りの「映像の遺言」として撮られた『サクリファイス』然り、タルコフスキーのバッハへの祈りにも似た傾倒もまた『鏡』においても顕著だが、他にペルゴレージの『
スターバト・マーテル(悲しみの聖母)』が、映画音楽史上最も小さな音量ではないかと思われるほど微かに流れる気球の漂うシーンでは、微か故にその哀感に深く引き込まれずにはいられない。
そう、タルコフスキーのどの作品からも、「映像による祈り」が聞こえてくる。
電子書籍写真集 『
光の象の島 スリランカ』(
Amazon 楽天kobo)
電子書籍写真集『
イタリアの光・イベリアの炎~La Luce Italiana,El Fuego Iberico~
』(
Kindle・Amazon)
映画『
水の馬、
火の兎、
風の獅子』(
YouTube) 「
しあわせの岸」(
YouTube)
『
のら暦*ねこ休みネコ遊ビ*[DVD]
』
上記猫映画も紹介の本「
人と猫の愛ある暮らし―キャッツ&ラ・ドルチェ・ヴィータ 
」
映画『
秋の浮き輪』(
YouTube