友人の映像ディレクター・小林一君からのご指名を頂きまして、1日1本、7日間に渡って映画を挙けるFBの「映画チャレンジ」に参加させて頂きます。「映画チャレンジ」とは映画文化の普及に貢献するためのチャレンジで、#savethecinema に関連するものです。
2本目はピエル・パオロ・パゾリーニ監督の『
奇跡の丘』です。

『奇跡の丘』とは、必ずしもキリスト教の一般常識が浸透しているとは言えない日本国内向けの邦題で、原題は『マタイによる福音書』。かく言う私も大方の日本人同様無宗教だが様々な角度からこの作品の魅力は尽きない。
パゾリーニは詩人・小説家そして映画監督で、言動も創作も革新派であったため、その彼による聖書の映画化という企画は右派からも左派からも非難された。カトリックの総本山があるイタリアの右派からすれば、きっと聖書を冒涜するだろうと怖れ、革命を期待する左派からすれば、聖書へのすり寄りは裏切り行為という訳だ。
それもあって撮影はカッパドキアやエトナ山などで行われたが、蓋を開けてみれば決して冒涜などなされず、むしろ聖書に新しい命を吹き込んだ映画として右からも左からも絶賛され、ヴェネツィア国際映画祭審査員特別賞はおろか何と国際カトリック映画事務局賞!まで受賞している。殺人事件により晩年となってしまう後年の、スウェーデンと日本以外では上映禁止となる『
ソドムの市』の監督にはあり得ない「奇跡」だ。一体こんな芸当がどのように実現されたのか。
まず台詞は出典引用文を一字一句変えていない。もちろん割愛はしているが言い換えや付け足しはせず、その代わり行間も映像で表現している。映画の冒頭を見てみよう。「処女懐胎」によってお腹が脹らみ戸惑うマリアと、苦悩するヨセフが向き合っている。いたたまれなくなったヨセフが逃げるように崖のへりに出ると、向こうでは子どもたちが無邪気に遊んでいる。くずおれたヨセフは腕に顔を埋める。ーここまで実は台詞も説明も一切ない。そこへ天使ガブリエルが現れヨセフに事の次第を告げる。つまりこの物語で最初に言葉を発するのは天使であり、その内容はまさに「福音(ふくいん)」=幸福の知らせなのだ。
次に役者は皆素人。そのことでリアリティーも増すが、そればかりでなく各キャラクターを際立たせる効果を上げている。イエスには60年代当時盛んだった学生運動の闘士を抜擢し、「山上の垂訓(説教)」も生き生きとしたアジテーションになっている。サロメは可憐な少女が演じ、母親の指示通りヨハネの首を所望するシーンの鮮烈さがいやます。
選曲もすばらしく、バッハの『マタイ受難曲』をメインに用いるのは当然として、荒野で断食中のイエスに挑む「悪魔の誘惑」のシーンに、同じバッハがフリードリヒ大王に王が作曲したテーマに基づき編曲・献呈した『音楽の捧げ物』が流れる陶酔感は、悪魔の試みさえ「人の子」=「王の王」=神への捧げ物かと思えるほどだ。
寺山修司が『時には母のない子のように』とタイトルを直訳し、カルメン マキのヒット曲を生んだネタ元の黒人霊歌『Sometimes I Feel Like A Motherless Child』も、故郷ナザレを出ることになるイエスの生涯に哀愁を添えて余りある。
パゾリーニの映画はとかくスキャンダラスな側面が取り上げられがちだが、どの作品もさりげない自然描写や小動物への眼差しが愛おしく、『奇跡の丘』ではガリラヤ湖の煌めきやエルサレムの中庭に舞う鳩など見惚れてしまう。かつてオスティアの海岸にあるイタリア人の別荘に泊めてもらった時、殺されたパゾリーニのバラバラ死体はこの美しい海岸のゴミ箱で発見されたんだなあ、と感慨に耽ったが、その夜初めて聞いた小夜鳴き鳥=ナイチンゲールの澄んだ歌声に、パゾリーニの霊も慰めらていればと願った。
電子書籍写真集 『
光の象の島 スリランカ』(
Amazon 楽天kobo)
電子書籍写真集『
イタリアの光・イベリアの炎~La Luce Italiana,El Fuego Iberico~
』(
Kindle版・Amazon)
映画『
水の馬、
火の兎、
風の獅子』(
YouTube)
『
のら暦*ねこ休みネコ遊ビ*[DVD]
』
上記猫映画も紹介の本「
人と猫の愛ある暮らし―キャッツ&ラ・ドルチェ・ヴィータ」
『
月のイルカ』(
YouTube) 『
秋の浮き輪』(
YouTube)